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ホームページコラム 筆不精医誌曖昧模糊 -あいまいもこ-
『認知症』のとらえ方
2024.06
こんにちは
院長の新です。
この4月から当院の患者数増加に伴い、大変ご迷惑をおかけしております。
それも3月31日で父が新内科医院を閉院し、これまで通院してくださっていた患者様が当院にお越しいただくようになったことが理由なのですが、その患者さま方を診ていて感じることを今日は書かせていただきます。
わりと皆さん、お話好きで、にぎやかで、人情味溢れる方が多い印象を受けます。また、患者様からちょくちょく聞くのが、「お父さん(のからだ)は大丈夫?」、「さみしいね」、「まだやれるんじゃないの?」とか、スタッフについても、「親しみやすかったのにね」「何でも話せたのに」とか、時に、私の顔を見て「お父さんにそっくりだね」などなど。
つくづく新内科医院は地域の方々に親しまれていたのだな、と改めて感じております。 この患者さま方に父自身も支えられていたのだなと感じています。
父の患者さまも父と同様、高齢の方が多くいらっしゃいます。
その影響で午前中の診療は特に高齢の方が増えきました。 そこでよく悩みとして聞かれるのは、『認知症』、そしてそれを支える家族の苦悩です。
老夫婦2人暮らし、片方が認知症で、それをお世話する配偶者が一番苦労されていますね。毎日の生活は、本当に大変だろうなと思います。
身体の疲労よりも心の痛みもあるように思います。
「以前のように戻って欲しい」と心のどこかで願い、どうにもならない現実に苦悩されている方も少なくありません。
当院の認知症の患者さまだけではなく、知り合いの認知症の方を眺めながら色々思うことがあります。それは、男性よりも女性が多いな、とか女性の中でもご主人に従順な方が多いな(男性の後ろを3歩下がって歩くみたいな方)とか、ストレスが多い方や肥満よりも痩せ型の方が多いなぁなどです。
認知症という病は、様々な要因がりますし、医学では原因も明らかになってきています。
それとは別の見方に、この方々が認知症になられたのも何か必要があったのではないかとも思うのです。認知症にならなければいけなかったのか?もしくは認知症に自ら無意識になったのか?
私のとらえ方は、こうです。
たまたま偶然におこる病気はなく、必ず必要があってその病気になっている!
そういう意味でも、これまで様々な常識にとらわれ誰かの頭でしか生きてこれなかったことで人生の終盤になり自由ということを味わいたい!家族のお世話と人間関係の調節役に疲れストレスから解放されたいと願っていた!男性の方は、勤勉でなにより常識に縛られ、頑固なタイプの方が実は、自由になりたいと願っていた! そしてその通りになった。
ある意味、認知症の方は自由ですよね。常識も非常識も超越した世界で生きている感じがします。
このとらえ方ですと ご家族は、心を痛めませんね。
なぜならばご本人は、望んでその状態にいるのですから。
何にも縛られることなく、自由な世界で毎日を過ごし、将来に対する不安や心配事から解放され、生活しているのではないでしょうか。
心配して嘆いてかわいそうな目で見ているのはご家族だけで、もしかしたらご本人は、めちゃくちゃお幸せなのかもしれません。
だったら周りも心配しなきゃいいのです。
しかし、なかなかそう思えないのも理解できます。
私たちは、病気の人には優しくあれ、助けよ!他人に迷惑をかけるな!家族なら何が何でも面倒みよ!と教育されてきましたし、それが良識ある人間とされてきましたね。
でもよく考えてみてください。
家族であっても個々人の人生のシナリオまでには、口出しできないのです。その病気を選んだこと、自ら選択して今の状態になったとは考えられないでしょうか。いえ、ぜひそういう考えもしてみてほしいと思います。
そうしたら、もう少し介護している方もお気持ちが楽になりませんか? どうにかしようと思わず、どういう人生を歩いていくのか最後まで見守るだけです。家族の方もご自身の人生のシナリオを謳歌してください。あなたも自由なら私も自由でいいのです。施設の方に預けてもいいんです。
勿論、様々な考え方がありますので、「いや、私が最後まで面倒みる!」と決めている方もいらっしゃいますね。それもOKです。
今日は、少し認知症の方を見る目を変えてみて、考え方をちょっと変えてみてもいいのではないでしょうかというお話でした。
医者のこんなお話しに興味がある方は、ぜひ診察の際にでもお声かけください。