

院長よりご挨拶
小さなクリニックだからこそ
できることがある!
はじめまして。
当院のホームページをご覧いただきありがとうございます。
新くりにっく院長の新 浩一です。
私は、この白山市の地に40年前に開業した父の意を継ぎ2015年に「新くりにっく」を開業いたしました。 新くりにっくを開業する以前は、20年余り内科医として大学病院など総合病院に勤務しており、その期間に沢山の病気、多くの患者さまを診ておりました。
日常の中にある小さなことこそ大切に
出会いの形は様々です。悲しい別れもありました。落ち込んだこともありました。それでも、医師としての仕事を続けてこられたのは、患者さまやそのご家族との会話の中に自分が医師として少しでも皆様のお役に立てたと感じることが出来たからです。それは、新くりにっくを開業した今も変わらず私の日々の原動力と喜びとなっています。日々の中で感じること。小さな当たり前のこと。そんな日常の中にある小さなことこそ大切にしなければと思います。
病気の原因となるもの
病気の原因を断定する手段は、多くの場合あらゆる検査を行い医師が判断をし決定します。この医師による病名の判断は果たして100%正しいのでしょうか。先進医療がいくらすぐれていても、すぐれた機械を使い、経験のあるすぐれた医師が判断をしたとしても、病気の原因を解明できないことも実はあるのです。 病気の原因となるものは、機械で判断できるような単純なものではない場合や、時としてその原因はひとつではないのかもしれません。
当然ですが、病気の原因は患者さまご自身にあります。医師が把握できない見落としをされている患者さまの情報が数多くあることが、この100%正しい判断にならない原因のひとつなのではないかと考えています。情報には、遺伝・年齢・性別・喫煙・飲酒・食生活をはじめ、職業・趣味・思考・住んでいる地域・性格・スポーツ習慣・気候・薬剤摂取・ストレスなど。おひとりおひとりのこれまでの人生の道のり全ての中に病気の原因があるのではないだろうかと、私は考えます。それ以外にも、もしかすると目に見えない思想観、宗教観のようなものも、実は病気の原因に関係がある場合もあるのかもしれません。
おひとりおひとりの患者さまの人生と向き合いたい
大きな総合病院は、おひとりおひとりの患者さまと向き合う時間の制限があります。病気のおおもと。原因としっかりと向き合いたい。おひとりおひとりの患者さまの人生と向き合いたいと考え、包括的な診断アプローチがしたいと思い自分が生まれ育った白山市に自分の目指す新しいスタイルのくりにっくを作ろうと思い開業いたしました。
既存のクリニックの概念に縛られることなく常にチャレンジ精神で「小さなクリニックだからこそできることがある!」を追求していきたいと思っています。開業よりコミュニティールームを併設し、地域の皆様のお役に立てるお話会やヨガ教室、体操教室なども行っています。
和を以て貴しとなす。
新くりにっくは、人と人との繋がりや助け合いの精神を医療の場にも取り入れ、患者さまと患者さまのご家族の皆さまの身近な存在、人生のよきサポーターで在りたいと思っています。
新くりにっく
院長 新 浩一

当法人のあゆみClinic History
私どもの道すじは、
1857年石川県小松市古府町から
始まります。
江戸・明治・大正時代
1代目
新源松が小松市古府町に生まれます。
源松は、この時代にもかかわらず東京に上京し、漢方や鍼灸、マッサージを学びます。まだ現在のような医師法がなく、医師となるものは、他の医師の下で学んでいた時代だったようです。その後、源松は、故郷に帰り漢方薬などを使い村の人々を診療します。
新源松
明治・大正・昭和時代
2代目
新次郎吉は、1910年(明治43年)金沢大学の前身金沢医学専門学校を卒業します。
この次郎吉は、源松の実子ではありませんでした。源松には、当時、男子がおらず次郎吉を伊藤家から養子縁組をし迎え入れます。そして次郎吉は、源松の長女はると結婚し、大正の初め妻はると共に小松市古府町に『新醫院』を開院します。源松には、その時九治郎という長男が誕生していますが、次郎吉夫妻が家を継ぐこととなりました。この次郎吉、呼ばれれば昼夜を問わず山深くにでも往診に出向き、村の人々に大変慕われた医師だったと話してくれる方がおられました。1976年、生涯現役で91歳で醫院で倒れ息を引き取ります。次郎吉の最後を看取ったのは、当時金沢大学病院に勤務していた孫である正浩でした。
次郎吉大学卒業時
晩年の次郎吉(往診に使っていた自転車と往診バック)
妻ハルが薬の調合をしていました
晩年の次郎吉とはる
大正・昭和・平成時代
3代目
新正夫が小松市古府町に生まれ、1937年(昭和12年)東京歯科大学を卒業します。
その後、故郷に戻り白山市美川町にて『新歯科医院』を開院します。この時、小松から白山に居を移します。親兄弟が医師を志すなか、強く歯科医にこだわったと聞いています。83歳まで美川町で歯科診療を続けました。物静かな穏やかな人柄の町の歯医者でした。
正夫と美智子
診察室の様子
診察室の様子
新歯科医院
昭和・平成・令和時代
4代目
新正浩が白山市美川町で生まれ、1965年(昭和40年)に金沢大学を卒業します。
1979年(昭和54年)11月4日、白山市西柏町に『新内科医院』を開院します。
その後、1989年(平成元年)に法人化し『医療法人社団新内科医院』と名称を変更します。「患者さまは、医者の教科書である」を基本理念に44年と4か月の間、診療し続け、地域医療に貢献します。2024年(令和6年)84歳で閉院。
新内科医院
診察室の様子
開院当時
昭和・平成・令和時代
5代目
新浩一が金沢市で生まれ、父の開院とともに白山市に移り住みます。
1995年(平成7年)東邦大学を卒業し、その後、東邦大学付属大森病院、横浜済生会南部病院、福井済生会病院で勤務。2015年医療法人社団新内科医院の分院として『新くりにっく』を白山市宮保新町に開院します。2019年『医療法人社団新内科医院』の理事長を引き継ぎ、『医療法人社団新』と法人名変更 西洋医学に東洋医学を加え、漢方なども用い診療を続けている。
新くりにっく
以上、当法人のあゆみに最後までお付き合いいただきありがとうございます。
ご覧頂いたように、田舎の小さな町医者を長きに渡り続けております。初代が生まれて167年余り経過していることに、正直驚いております。この間,日本や世界は大きく変わりましたが、私共は、この石川県小松市、白山市で世代や時代が変わりましても、同じことを繰り返しております。さらに驚くことは、私が現在診療に使っている漢方がこんなにも続いているということです。150年以上前の医者もどきの初代源松と西洋医学しか学ばなかった私が同じことをしている事にもしみじみと体の奥底からこみあげてくるものがあります。
名前は、新しいと書いて「新」ですが、どうやら新しいことを追い求める開拓者の血筋ではないようです。むしろ古い時代のものを大事に変わらず、続けることが私共は得意なようです。しかし、変わらずに継続し続けるというのも難しいものです。変わらずにいるために、変わり続ける事も必要になります。昨今、人々の健康の概念は、大きく変わり続けています。
この法人のあゆみを作成するにあたり、先人たちの思いを忘れることなく、この地に根ずく医療者でありたいと改めて痛感いたしました。これからも先祖の名に恥じぬよう、長きに渡りお世話になっているこの地域の皆様のお役に立てるよう、精進していきたいと思います。
2024年11月11日
医療法人社団新 理事長 新 浩一
金沢大学病院(医学部)の今と昔にご興味がある方はご覧ください
次郎吉の現金沢大学(金沢医学専門学校)の
卒業アルバムより~1910年~





1910年の金沢大学病院(石川金澤病院)
現在の金沢大学附属病院(病院サイトより)
院長プロフィール
- 昭和45年金沢市生まれ
- 平成07年東邦大学医学部卒業
- 平成07年東邦大学附属大森病院第二内科(消化器内科)
- 平成15年済生会横浜市南部病院 消化器内科医長
- 平成21年福井県済生会病院 消化器内科医長
- 平成21年学位取得
- 平成26年新内科医院 副院長
- 平成27年新くりにっく開業
[ 資 格 ]
- 日本内科学会認定内科医
- 日本消化器病学会認定消化器病専門医
- 日本消化器内視鏡学会専門医
- 日本肝臓学会認定肝臓専門医
- 日本ホメオパシー医学会認定医
[ 所属学会 ]
- 日本内科学会
- 日本肝臓学会
- 日本消化器内視鏡学会
- 日本ホメオパシー医学会
- 日本東洋医学会
- 日本渡航医学会




